週刊 野ブタ。

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2005年 11月 16日

第5話


【今週のあらすじ】

 服装や髪型、外見をプロデュースすることで、見事、虐められっこの信子を大変身させた修二と彰だったが、信子には根本的な何かが不足しているように感じていた。
 周囲のクラスメイト女子と比べ、信子に不足しているものは恋愛経験だと考えた修二は、タイミングよくして信子に想いを寄せるクラスメイト、シッタカの存在を知り、修二のガールフレンド、上原まり子を巻き込んで、ダブルデートを決行するのだったーー。 a0048991_1945544.jpg
 一方、信子に恋心を抱きはじめた彰は、そんなデート作戦がおもしろい筈もなくーー。
 果たして、それぞれの恋の行方は―――!?
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【今週のストーリー解説】

■善良な市民

 前半戦だけで随分遠くに来てしまったなあ、というのが正直な感想。あの原作から、ここまで広がりを見せるとは正直思っていなかったので、これは嬉しい誤算。
 例えば今回描かれた信子の密かな成長がそうだ。
 修二の発案でとりはあえず「男に媚びる小手先のテクニック」を身につけるため、シッタカとデートすることにした信子だったが、結局「好きでもない人と付き合うのは、違うと思う」と自らその計画から降りてしまう。しかし、これは他人に媚びる(合わせる)ことを嫌う成熟拒否ではない。信子の中には、いつの間にか「ただ人気者になれればいい」という狭い世界での自己実現よりも、もっと大きな人間的な成長が視界に入っていたのだ。これってそこらのドラマだったら、この辺りを最終回のオチにして「視野の狭い若者達に大切なメッセージを伝えましたよ」とふんぞり返るところなのだが、なんてったってこのドラマはまだ5話である。まだ山の中腹にしか達していない。
 いじめられっ子の信子は「笑える」ように、満たされているが故に空虚だった彰は「恋」を知り、そして修二は「人の幸せを喜べない奴には、絶対負けたくない」とはじめて思う……。
 前半5話にして、何を目指し、何を求めればいいのかという「はじまり」の物語が一通り完結したかに見えるドラマ版「野ブタ。」。彼ら3人の目的は達成されるのか、それとも……。これからもその着地点を注意深く見守っていきたい。
 

■成馬01

 前回自分の気持ちに気付いた彰が案の定おかしくなっててそのおかしさがかわいくてかわいくて俺は頭撫でてあげたくなるよ(笑)ホント男は恋をすると小学生になるなぁと自分のことをいろいろ思い出し愉快な気分になる。基本は野ブタとシッタカ、まり子と修二のWデートをのけ者にされた彰が遠くから尾行するという話で進み後半は以外な流れに~というもの。演出も変なカット割りやスローになったりとよりトリッキーになっている。
 また今回は今までの一話完結の作りに較べるとオチが弱いというかわかりやすいカタルシスがないが、それはこのドラマが安易に結論を出せない部分に踏み込もうとしているからではないかと思う。また修二がネガティブプロデューサーの存在を意識したりと物語が動き出す予兆のようなものを感じさせる。
 テーマ的な部分はチェックポイントに回すとして今回は三人がそれぞれ均等に描かれてるような気がした。このドラマの構成で俺が予想してたのは前半は野ブタの成長過程を描き、後半は原作ではおざなりだった修二の内面の問題に踏み込むと同時に彰と野ブタが修二を助けるような話になると想像していたのだが、今は三人それぞれが主役と言ってもいうような混沌とした物語になってしまった、と同時にシッタカ、バンドー、まり子などのサブキャラもちゃんと描かれている。 a0048991_19454454.jpg
 これは嬉しい誤算だ。1,2話で感じたような修二と彰のヒーロー性はどんどん落ち着き、逆に一方的な弱者に見えた野ブタは芯にもってた揺るがない強さが大きくなり、むしろ、その強さに修二と彰が影響を受けている。
 それぞれがまだ未熟な10代の高校生でありながら、その限界の中でせいいっぱい最良と思う道をぶつかりながらも模索している、こういうのを青春って言うんだよなぁと思う。


■中川大地

 アヒャヒャヒャヒャ、彰苦しんでる苦しんでるよ! もう嗜虐心そそられて顔ニヤケっぱなし。たまらん、たまらん、たまらんぜ~!!
 シッタカの視線だけで野ブタへの恋心を一瞬にして見抜いてしまう修二が、まるっきりあからさまな彰の方にはお約束どおりベタに鈍感なのも可笑しい。まり子へのもっともらしい台詞と裏腹の彼女の態度へのテキトーさなんかとも相まって、自分自身が当事者になる想いに対しては、無意識に認識がシャットされてしまうということなんだろうな。
 それにしてもまり子、いい女じゃんけんのう! 修二にちゃんと向きあってもらえない寂しさは実はこれまでの回でもさらっと描かれてきていたのだけれど、プロデュース作戦のWデートというかたちで初めて本気でコミットする修二と接して「今日は本当に楽しかったよ……って、届いたかな」と言うあたりは、自分のことをいろいろ思いだしズキンときました(苦笑)。
 あと、シッタカが水族館でのデート中、じいさんを介抱して吐瀉物を手にぬぐった野ブタに触れられて思わず「汚ねっ」と叫んでしまった不作為で、惚れた子の信頼を失って後悔と自己嫌悪に陥るやるせなさとか……。
 というような、これまで風景だったサブキャラたちの心象がクローズアップされた「普通の恋愛ドラマ」としての場面があれこれ心に染みる話でした。
 でもって、それだけにじいさん介抱時に登場した彰がヒーローやって一緒に救急車に乗って、野ブタに「きれいな手だ」と言うあたりのオイシイとこ取りは、やっぱどーも釈然としないトコあるんだよなあ(笑)。はずれ者同士ゆえの聖性とか真実を共有する連帯、みたいなところへの落とし込み方が簡単すぎる気がして。
 いやまあ、ドラマとして当然の予定調和であり、ちゃんと主役が主役として機能する安心感もきっちり感じているのだけど、あまりにも順調にまっとうに成長していく信子と彰が眩しくて、こちらの中のヒネクレ虫が騒いでるだけなんでしょうが……。
a0048991_1946530.jpg そんなわけで、放っておいてもスクスクと育つだろう二人(いや、彰も野ブタも可愛くてしょうがないだから言ってんだからね!)は、やはり僕なんかからするとあくまで主人公・修二の導き役という気がします。このドラマの根幹をなすリアリティや葛藤の体現者は、最終的には修二なのかなと。
 その意味で、ついにネガティブプロデューサー候補(チェックポイント参照)が画面に登場し、第1話ラストのナレーションで示唆されていた「大きな悪意との対決」に向けて物語全体が転回していくターニングポイントなのだと感じさせる演出が随所にあった点は興味深いところ(話数的にもちょうど折り返しだし)。当面の憎まれ役だったバンドーとの決着がひとまず前話で済んでいるし、プロデュース組の屋上ブリーフィング風景までが写真に撮られていることから、修二が今回の信子への中傷ビラ撒きやこれまでの数々の妨害が別の一貫した悪意であることを意識する前提もできているわけで、このへんのシリーズ構成はよく練られているなあと思いました。次回のいかにも一話完結ネタ風にみえる予告がどう裏切られ深まっていくのか楽しみ。


【今週のチェックポイント】

■キャピキャピ感

 クラスの女生徒の甘ったるい声やしなる体を見て野ブタに足りない女っぽさに気付く修二。ここで野ブタの動作が、いかにかわいい女の子の動きからズレたものだったかに気付く。まず全体的に重く、亀みたいにのっさのっさ歩く。
 猫背で下を向き肩を張り大股で歩く。(ついでにスカートの丈も長くやぼったい)冒頭のラブレターを見た瞬間倒れるシーンもドサッて感じで10代の女の子の軽快な感じがまったくない。(でも、この重たい動作の野ブタがかわいいんだよなぁと見ている人は思っているはずだ。理由の説明は不要であろう。) a0048991_19462525.jpg
 当たり前だけど実際の掘北真希は姿勢もちゃんとしてるしグラビアで見る限り身体もしなやかだ。だからこういう細かい動作から演技に入ってたんだなぁと逆に再発見させられた。それにしてもクラスの女子の媚びっぷりを冷静に見てる修二ってのは悲しいなぁ。  (成馬)

■手を握る。

 この回では繰り返し手を握るシーンが出てきた。修二を野ブタに見立て暗に告白する彰や野ブタをリードするため先にまり子と手を繋ぐ修二、あるいは汚れた手ゆえしったかに拒絶される野ブタ。そして救急車の中で汚くないと野ブタの手を握る彰。体を触るという行為は大きなコミュニケーションだが、それぞれの手を握るシーンの意味合いはまったく違っている。  (成馬)
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■噂と相場

 この学校を支配する価値観はわかりやすい強者の権力でなく情報である。生徒の評判はどれだけ好意的な信頼性のある情報を得ているかであり、その人気には相場がありその上下に皆が右往左往する。だからこそネガティブプロデューサーは誹謗中傷のビラをばら撒く、その情報が正しいかどうか?は問題ではなく、不特定の誰かがよく思ってないということが学校では問題なのだ。その威力を知っているからこそ修二は焦り(それはまた修二の武器でもあるからだ)逆に彰と野ブタはあまり動じてないのが興味深い対比だ。この作品は小さな教室という舞台を使いある種の社会を体現しているそして来週の予告を見ると貨幣まで絡むようではないか!
 これではまるで市場経済だ。 (成馬)


■不吉な九官鳥の笑い声

 1話の猿の手、3話の生霊、4話のホントおじさんなど、怪談チックな現象がサブプロット的に絡みつつ(そしてその狂言回しになるのが、人間離れした魔女のような存在感で描かれるキャサリン教頭)、本筋の主題を暗喩的に示して修二たちの気づきを促すガジェットとして機能するのが『野ブタ。』の世界観と作劇の特徴だが、今回は「聞くとクラスに不吉な事件が起こる」という噂の奇妙な笑い声が出てくる。その正体はこれまでのような超自然の怪異ではなく、九官鳥の真似声にすぎなかったことがわかるが、不吉の予感どおりWデートの翌日に学校中に貼り出された中傷ビラ事件で信子やまり子への悪い噂が流れることに。おそらくは誰かの人為による悪意が人々の口にのぼることで、真実から目をくらます信念になってしまう構造を示唆しており、修二がネガプロの存在感に気づく、という伏線だと思われる。  (中川)

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■上原まり子

 上原まり子はいい奴だ、それは彼女が人と人の可視化されたコミュニケーションを疑わない鈍感さから来ている。彼女はお弁当を作り「ありがとう」と心をこめて言えば相手(修二)が喜んでくれると信じている。修二にとって大事なのは表層で心というものを保留にすることで今の自分を維持しているという昔の宮台真司みたいな奴だから、簡単に「心をこめて」と言える、まり子をいい奴だと思えても好きにはなれないのだと思う。噂に対してまり子は「誰か一人だけ本当のこと知っててくれればそれで充分」と修二に言う、だが修二にとって本当の自分を見せられるのはまり子でなく彰や野ブタなのだ。原作ではまり子は追い詰められた修二を聖母のように救おうとするが修二に拒絶される。この二人の関係は今後どうなるか?は修二のホントの姿をまり子が知った時わかるだろう。  (成馬)


■シッタカの映画ネタ

 今回クラスの風景の中から浮かびあがってきたのが、あだ名どおり第1話で修二に「自分には一生関係ないようなテレビの話しかしないやつ」的なモノローグで揶揄されていたシッタカ。彼が水族館で信子に話していたデート会話は映画ネタ。スティーブン・キング原作、ブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』についてだった。
 ハイスクールでいじめられる変わり者の少女が超能力に目覚める復讐劇として有名なサイコ・ホラーの金字塔をここに持ってくるあたり、彼がなぜ信子に惹かれたのかのバックボーンをそれとなく匂わせる描写になっているのと同時に、『野ブタ。』の作品性ともダブらせるメタな暗喩にもなっている。
 だが、深読みするとそれだけでなく、今回ふられたシッタカ自身がダークな方向に行くかもしれない暗示になるかも?という気もするので、今後に注目。  (中川)


■修二-母と信子-父のクロスオーバー a0048991_19473348.jpg

 Wデートのさなか、いろいろ野ブタに気をもむ修二に、「修二君って小谷さんのお父さんみたい」と告げるまり子。信子の「お父さん」といえば、母の再婚相手で幼少期にコミュニケーションに失敗してその後の性格形成の原因になった継父である。
 また、海外に出ずっぱりでなかなか帰ってこないという設定の修二の母ノブコが、第1話以来の登場。しかしずっと寝てばかりで、ろくに修二とのコミュニケーションはとれずじまいでまた海外へ。その飛行機を見送りながら、滅多に会えないからこそ自分のことを知ってくれてる人との絆が欲しくて母と結婚したのだという父との会話で、母の愛称が「ノブタン」だったと知り、修二は驚きながら野ブタのことを思う。
 これが野ブタのことをもっと知ろう、自分が彼女の自然な笑顔を見たいからこそプロデュースをするのだという気づきに結びついていくのだが、修二と信子がお互いにコミュニケーションに不全を感じている親の存在感が重なりあう相手だという構図がほのめかされているわけだ。二人がそれぞれ抱く欠落が、片やキャッチボールのできない心の閉ざしに、片や過剰で空疎なコミュニケーションスキルに繋がっていたという。
 そんな二人ともお互いの存在によって、初期の限界からかなり踏み出して成長してきているわけだが、その必然を改めて図解きして説明する場面なのである(彰はその図式からすると「触媒」なんだな。その無意識の自覚が、野ブタへの恋心への戸惑いに繋がってるところもあると思う)。 (中川)


■プロデュースからキャッチボールへ

 この回で修二は「人気ものになりたくないのか?」と野ブタに問い、野ブタは「(人気ものになって)みんなにありがとうと言いたい」という、そして修二は「俺がお前を人気モノにしたい」と言う。いつしか人気モノになりたいという目標よりも三人の関係こそが大きなものになっている。これがもし最初から友情とか仲間みたいなものを前面に出したものだったら三人は手を組めなかっただろう、ある種プロデュースというドライな関係からはじまり、序々に信頼を築いていったのだ。 a0048991_19475265.jpg
 また「二人にボールを投げてもらうのを受け取るのが精一杯だからいつかボールを投げ返したい」と野ブタは彰に言うが、実は知らず知らずの内に野ブタは二人にボールを投げ返していることが最後に修二が球を投げるシーンでわかる。しかもその球は野ブタへの誹謗中傷が書かれたビラを丸めたものだ。
 その意味でこのキャッチボールのシーンがそのまま、この作品全体を象徴するシーンだと言える。  (成馬)


■キャッチボール

 「会話のキャッチボール」という会話があるように、キャッチボールというアイテムはコミュニケーションの暗喩として使われることが多い。
 最近で有名なのはやはり名作『木更津キャッツアイ』でのぶっさん(岡田准一)と美礼先生(薬師丸ひろ子)がキャッチボールをするシーンだろう。
 ストレス過剰で勤務先の高校で問題を起こし、謹慎処分を喰らって「引きこもり」になった美礼先生を、ぶっさんが元気付けるためにキャッチボールに誘う。そしてボールを追ってキャッチボールを続ける間に、いつの間にか二人は学校にまでやって来てしまう……。そう、ぶっさんはキャッチボールをすることで美礼先生にもう一度学校に戻って欲しかったのだ。
 これに対して「野ブタ。」第5話のキャッチボールは、同じようにコミュニケーションの暗喩として用いられながらも若干ニュアンスが違う。ここではもらったボール(心のこもったコミュニケーション)を投げ返すという行為は、相手の誠意に対等な立場から誠意をもって返すということを意味している。前話で修二からも大切な仲間と認識され、今回、それに応えるために独り隠れて努力するさまが描かれた信子は、今回ようやくボールを投げ返す資格を手にいれたのだ。その手つきはまだおぼつかない。だが、それは大きな第一歩、いや「第一球」のはずである。 (市民)


■だれか一人でもいれば

 世界中を仕事で飛び回る修二の母と、それを見送る父。父は語る。「世界中でたったひとりでも、俺のことをちゃんと知っていてくれる人がいるって思えれば、それでいいんだ」と。また、修二がプロデュースしたWデートでのやらせ演技のせいで、学校中に悪い噂が広まった上原まり子は「修二さえ本当のことを知っていてくれれば、それでいい」と意に介さない。父やまり子の語る「思想」は、学校という期間限定の箱庭での「キャラ」を演出することに長け、その「期間限定の小さな世界」でしか通用しないはかなさを達観して、平気で受け流そうとする修二の思想とは対極を成している。父やまり子の大切にしているものは「永遠」でこそないものの、時間をかけて培った中・長期的な入れ替え不可能性の高い(笑)関係だ。今のところ、物語は入れ替え可能な「キャラ設定」で満足していた修二が、「入れ替え不可能なホンモノの関係」のよさに気付くという形で進行していっている。これからはじまる後半戦、この修二の物語がどういう展開を見せるかは、もっとも注目すべきポイントのひとつだろう。 (市民) 

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■シッタカの失敗

 だが、この「君さえいれば」思想は実は非常に危うい部分を孕んでもいる。この思想はやもすれば少年の自意識の問題を解決するために、ご都合主義的に設定されたオタク好きする美少女にセカイごと彼等を承認してくれるなんていう、どうしようもないマッチョイズム(オトノノコの他者なきセカイ系ロマンス)に墜しかねないからだ。今回、シッタカというオタク少年を登場させ、その身勝手な他者なきロマンスに冷淡なスタンスを見せたこの作品が、それでも「ホンモノの関係」を志向する中でどういう着地点を見せるのかは非常に楽しみだ。それはたとえば修二の父母のような男女の関係として提示されるのだろうか。それとも、学園祭で3人並んで撮ったポラロイドの中に閉じ込められたような美しい関係として提示されるのだろうか。あるいは……? (市民)


■黒いソックスの女生徒

 第2話以来、野ブタのプロデュースを邪魔するネガティブプロデューサーの女生徒のショットがたびたび描かれていたが、今回は黒いソックスを履いた足元が映し出される。
 そしてラスト、野ブタが介抱して助けたおじいさんの孫だという女生徒が、「野ブタ」の初めての同性の友達として登場してくるのだが、彼女もまた黒いソックスを履いていた……。
 果たして今後、視聴者に対する正体探しには幕を引いた上で、この子をネガプロの正体としてキャラクター同士の対立劇に進むのか、あるいはこれをさらなるフェイクとしてより手の込んだミステリーに進んでいくのかも、目が離せない。 (中川)a0048991_19492750.jpg


■「人の幸せを素直に喜べない奴にだけは俺は絶対負けたくない」

 しかし人の幸せを素直に喜べない奴とはどんな内面を抱えた人間なのだろうか?野ブタにしてもバンドーにしてもまり子にしても、ある種の突出した存在で、だからこそ憧れられたり逆に虐げられたりする。だが学校は羨望も侮蔑も無縁のまま古い言葉で言うなら「透明な存在」のまま過ごす生徒がほとんどなのだ。そんな彼女?にとって野ブタはどう映るのだろうか?
前作「すいか」では最終回で唐突に同級生を刺そうとする男子生徒が登場したが、ここまで掘り下げただけに、そういう匿名性の中に埋没しているがゆえの悪意までこの作品は掘り下げようとしているのでないか?と期待させる。 (成馬)


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■悪意、そして「敵」の存在

 今の世の中、なかなか「敵」の見つけるのは難しい。いや、ある種の慎重さを思考から排除してしまえば、簡単に敵を見つけて噴き上がることができる。でも最低限度の繊細さを持ち合わせた人間にそれは難しい。そんな中で『野ブタ。』が前半戦5話をかけてじっくり提示しつつある「敵」らしきものが、修二のいう「人の幸せを素直に喜べない奴」=ネガティブプロデューサー(?)の存在をどう描くかがは、たぶん一番難しいところだと思う。この「敵」が「悪」として描かれるのか、それとももっと別の形を取るのか。そして修二たちは、どう立ち向かっていくのか……。これから後半戦を迎えるこの物語の最大のポイントのひとつだ。 (市民)
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by nobuta2nd | 2005-11-16 19:51 | 第5話


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