週刊 野ブタ。

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2005年 11月 16日

第5話


【今週のあらすじ】

 服装や髪型、外見をプロデュースすることで、見事、虐められっこの信子を大変身させた修二と彰だったが、信子には根本的な何かが不足しているように感じていた。
 周囲のクラスメイト女子と比べ、信子に不足しているものは恋愛経験だと考えた修二は、タイミングよくして信子に想いを寄せるクラスメイト、シッタカの存在を知り、修二のガールフレンド、上原まり子を巻き込んで、ダブルデートを決行するのだったーー。 a0048991_1945544.jpg
 一方、信子に恋心を抱きはじめた彰は、そんなデート作戦がおもしろい筈もなくーー。
 果たして、それぞれの恋の行方は―――!?
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【今週のストーリー解説】

■善良な市民

 前半戦だけで随分遠くに来てしまったなあ、というのが正直な感想。あの原作から、ここまで広がりを見せるとは正直思っていなかったので、これは嬉しい誤算。
 例えば今回描かれた信子の密かな成長がそうだ。
 修二の発案でとりはあえず「男に媚びる小手先のテクニック」を身につけるため、シッタカとデートすることにした信子だったが、結局「好きでもない人と付き合うのは、違うと思う」と自らその計画から降りてしまう。しかし、これは他人に媚びる(合わせる)ことを嫌う成熟拒否ではない。信子の中には、いつの間にか「ただ人気者になれればいい」という狭い世界での自己実現よりも、もっと大きな人間的な成長が視界に入っていたのだ。これってそこらのドラマだったら、この辺りを最終回のオチにして「視野の狭い若者達に大切なメッセージを伝えましたよ」とふんぞり返るところなのだが、なんてったってこのドラマはまだ5話である。まだ山の中腹にしか達していない。
 いじめられっ子の信子は「笑える」ように、満たされているが故に空虚だった彰は「恋」を知り、そして修二は「人の幸せを喜べない奴には、絶対負けたくない」とはじめて思う……。
 前半5話にして、何を目指し、何を求めればいいのかという「はじまり」の物語が一通り完結したかに見えるドラマ版「野ブタ。」。彼ら3人の目的は達成されるのか、それとも……。これからもその着地点を注意深く見守っていきたい。
 

■成馬01

 前回自分の気持ちに気付いた彰が案の定おかしくなっててそのおかしさがかわいくてかわいくて俺は頭撫でてあげたくなるよ(笑)ホント男は恋をすると小学生になるなぁと自分のことをいろいろ思い出し愉快な気分になる。基本は野ブタとシッタカ、まり子と修二のWデートをのけ者にされた彰が遠くから尾行するという話で進み後半は以外な流れに~というもの。演出も変なカット割りやスローになったりとよりトリッキーになっている。
 また今回は今までの一話完結の作りに較べるとオチが弱いというかわかりやすいカタルシスがないが、それはこのドラマが安易に結論を出せない部分に踏み込もうとしているからではないかと思う。また修二がネガティブプロデューサーの存在を意識したりと物語が動き出す予兆のようなものを感じさせる。
 テーマ的な部分はチェックポイントに回すとして今回は三人がそれぞれ均等に描かれてるような気がした。このドラマの構成で俺が予想してたのは前半は野ブタの成長過程を描き、後半は原作ではおざなりだった修二の内面の問題に踏み込むと同時に彰と野ブタが修二を助けるような話になると想像していたのだが、今は三人それぞれが主役と言ってもいうような混沌とした物語になってしまった、と同時にシッタカ、バンドー、まり子などのサブキャラもちゃんと描かれている。 a0048991_19454454.jpg
 これは嬉しい誤算だ。1,2話で感じたような修二と彰のヒーロー性はどんどん落ち着き、逆に一方的な弱者に見えた野ブタは芯にもってた揺るがない強さが大きくなり、むしろ、その強さに修二と彰が影響を受けている。
 それぞれがまだ未熟な10代の高校生でありながら、その限界の中でせいいっぱい最良と思う道をぶつかりながらも模索している、こういうのを青春って言うんだよなぁと思う。


■中川大地

 アヒャヒャヒャヒャ、彰苦しんでる苦しんでるよ! もう嗜虐心そそられて顔ニヤケっぱなし。たまらん、たまらん、たまらんぜ~!!
 シッタカの視線だけで野ブタへの恋心を一瞬にして見抜いてしまう修二が、まるっきりあからさまな彰の方にはお約束どおりベタに鈍感なのも可笑しい。まり子へのもっともらしい台詞と裏腹の彼女の態度へのテキトーさなんかとも相まって、自分自身が当事者になる想いに対しては、無意識に認識がシャットされてしまうということなんだろうな。
 それにしてもまり子、いい女じゃんけんのう! 修二にちゃんと向きあってもらえない寂しさは実はこれまでの回でもさらっと描かれてきていたのだけれど、プロデュース作戦のWデートというかたちで初めて本気でコミットする修二と接して「今日は本当に楽しかったよ……って、届いたかな」と言うあたりは、自分のことをいろいろ思いだしズキンときました(苦笑)。
 あと、シッタカが水族館でのデート中、じいさんを介抱して吐瀉物を手にぬぐった野ブタに触れられて思わず「汚ねっ」と叫んでしまった不作為で、惚れた子の信頼を失って後悔と自己嫌悪に陥るやるせなさとか……。
 というような、これまで風景だったサブキャラたちの心象がクローズアップされた「普通の恋愛ドラマ」としての場面があれこれ心に染みる話でした。
 でもって、それだけにじいさん介抱時に登場した彰がヒーローやって一緒に救急車に乗って、野ブタに「きれいな手だ」と言うあたりのオイシイとこ取りは、やっぱどーも釈然としないトコあるんだよなあ(笑)。はずれ者同士ゆえの聖性とか真実を共有する連帯、みたいなところへの落とし込み方が簡単すぎる気がして。
 いやまあ、ドラマとして当然の予定調和であり、ちゃんと主役が主役として機能する安心感もきっちり感じているのだけど、あまりにも順調にまっとうに成長していく信子と彰が眩しくて、こちらの中のヒネクレ虫が騒いでるだけなんでしょうが……。
a0048991_1946530.jpg そんなわけで、放っておいてもスクスクと育つだろう二人(いや、彰も野ブタも可愛くてしょうがないだから言ってんだからね!)は、やはり僕なんかからするとあくまで主人公・修二の導き役という気がします。このドラマの根幹をなすリアリティや葛藤の体現者は、最終的には修二なのかなと。
 その意味で、ついにネガティブプロデューサー候補(チェックポイント参照)が画面に登場し、第1話ラストのナレーションで示唆されていた「大きな悪意との対決」に向けて物語全体が転回していくターニングポイントなのだと感じさせる演出が随所にあった点は興味深いところ(話数的にもちょうど折り返しだし)。当面の憎まれ役だったバンドーとの決着がひとまず前話で済んでいるし、プロデュース組の屋上ブリーフィング風景までが写真に撮られていることから、修二が今回の信子への中傷ビラ撒きやこれまでの数々の妨害が別の一貫した悪意であることを意識する前提もできているわけで、このへんのシリーズ構成はよく練られているなあと思いました。次回のいかにも一話完結ネタ風にみえる予告がどう裏切られ深まっていくのか楽しみ。


【今週のチェックポイント】

■キャピキャピ感

 クラスの女生徒の甘ったるい声やしなる体を見て野ブタに足りない女っぽさに気付く修二。ここで野ブタの動作が、いかにかわいい女の子の動きからズレたものだったかに気付く。まず全体的に重く、亀みたいにのっさのっさ歩く。
 猫背で下を向き肩を張り大股で歩く。(ついでにスカートの丈も長くやぼったい)冒頭のラブレターを見た瞬間倒れるシーンもドサッて感じで10代の女の子の軽快な感じがまったくない。(でも、この重たい動作の野ブタがかわいいんだよなぁと見ている人は思っているはずだ。理由の説明は不要であろう。) a0048991_19462525.jpg
 当たり前だけど実際の掘北真希は姿勢もちゃんとしてるしグラビアで見る限り身体もしなやかだ。だからこういう細かい動作から演技に入ってたんだなぁと逆に再発見させられた。それにしてもクラスの女子の媚びっぷりを冷静に見てる修二ってのは悲しいなぁ。  (成馬)

■手を握る。

 この回では繰り返し手を握るシーンが出てきた。修二を野ブタに見立て暗に告白する彰や野ブタをリードするため先にまり子と手を繋ぐ修二、あるいは汚れた手ゆえしったかに拒絶される野ブタ。そして救急車の中で汚くないと野ブタの手を握る彰。体を触るという行為は大きなコミュニケーションだが、それぞれの手を握るシーンの意味合いはまったく違っている。  (成馬)
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■噂と相場

 この学校を支配する価値観はわかりやすい強者の権力でなく情報である。生徒の評判はどれだけ好意的な信頼性のある情報を得ているかであり、その人気には相場がありその上下に皆が右往左往する。だからこそネガティブプロデューサーは誹謗中傷のビラをばら撒く、その情報が正しいかどうか?は問題ではなく、不特定の誰かがよく思ってないということが学校では問題なのだ。その威力を知っているからこそ修二は焦り(それはまた修二の武器でもあるからだ)逆に彰と野ブタはあまり動じてないのが興味深い対比だ。この作品は小さな教室という舞台を使いある種の社会を体現しているそして来週の予告を見ると貨幣まで絡むようではないか!
 これではまるで市場経済だ。 (成馬)


■不吉な九官鳥の笑い声

 1話の猿の手、3話の生霊、4話のホントおじさんなど、怪談チックな現象がサブプロット的に絡みつつ(そしてその狂言回しになるのが、人間離れした魔女のような存在感で描かれるキャサリン教頭)、本筋の主題を暗喩的に示して修二たちの気づきを促すガジェットとして機能するのが『野ブタ。』の世界観と作劇の特徴だが、今回は「聞くとクラスに不吉な事件が起こる」という噂の奇妙な笑い声が出てくる。その正体はこれまでのような超自然の怪異ではなく、九官鳥の真似声にすぎなかったことがわかるが、不吉の予感どおりWデートの翌日に学校中に貼り出された中傷ビラ事件で信子やまり子への悪い噂が流れることに。おそらくは誰かの人為による悪意が人々の口にのぼることで、真実から目をくらます信念になってしまう構造を示唆しており、修二がネガプロの存在感に気づく、という伏線だと思われる。  (中川)

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■上原まり子

 上原まり子はいい奴だ、それは彼女が人と人の可視化されたコミュニケーションを疑わない鈍感さから来ている。彼女はお弁当を作り「ありがとう」と心をこめて言えば相手(修二)が喜んでくれると信じている。修二にとって大事なのは表層で心というものを保留にすることで今の自分を維持しているという昔の宮台真司みたいな奴だから、簡単に「心をこめて」と言える、まり子をいい奴だと思えても好きにはなれないのだと思う。噂に対してまり子は「誰か一人だけ本当のこと知っててくれればそれで充分」と修二に言う、だが修二にとって本当の自分を見せられるのはまり子でなく彰や野ブタなのだ。原作ではまり子は追い詰められた修二を聖母のように救おうとするが修二に拒絶される。この二人の関係は今後どうなるか?は修二のホントの姿をまり子が知った時わかるだろう。  (成馬)


■シッタカの映画ネタ

 今回クラスの風景の中から浮かびあがってきたのが、あだ名どおり第1話で修二に「自分には一生関係ないようなテレビの話しかしないやつ」的なモノローグで揶揄されていたシッタカ。彼が水族館で信子に話していたデート会話は映画ネタ。スティーブン・キング原作、ブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』についてだった。
 ハイスクールでいじめられる変わり者の少女が超能力に目覚める復讐劇として有名なサイコ・ホラーの金字塔をここに持ってくるあたり、彼がなぜ信子に惹かれたのかのバックボーンをそれとなく匂わせる描写になっているのと同時に、『野ブタ。』の作品性ともダブらせるメタな暗喩にもなっている。
 だが、深読みするとそれだけでなく、今回ふられたシッタカ自身がダークな方向に行くかもしれない暗示になるかも?という気もするので、今後に注目。  (中川)


■修二-母と信子-父のクロスオーバー a0048991_19473348.jpg

 Wデートのさなか、いろいろ野ブタに気をもむ修二に、「修二君って小谷さんのお父さんみたい」と告げるまり子。信子の「お父さん」といえば、母の再婚相手で幼少期にコミュニケーションに失敗してその後の性格形成の原因になった継父である。
 また、海外に出ずっぱりでなかなか帰ってこないという設定の修二の母ノブコが、第1話以来の登場。しかしずっと寝てばかりで、ろくに修二とのコミュニケーションはとれずじまいでまた海外へ。その飛行機を見送りながら、滅多に会えないからこそ自分のことを知ってくれてる人との絆が欲しくて母と結婚したのだという父との会話で、母の愛称が「ノブタン」だったと知り、修二は驚きながら野ブタのことを思う。
 これが野ブタのことをもっと知ろう、自分が彼女の自然な笑顔を見たいからこそプロデュースをするのだという気づきに結びついていくのだが、修二と信子がお互いにコミュニケーションに不全を感じている親の存在感が重なりあう相手だという構図がほのめかされているわけだ。二人がそれぞれ抱く欠落が、片やキャッチボールのできない心の閉ざしに、片や過剰で空疎なコミュニケーションスキルに繋がっていたという。
 そんな二人ともお互いの存在によって、初期の限界からかなり踏み出して成長してきているわけだが、その必然を改めて図解きして説明する場面なのである(彰はその図式からすると「触媒」なんだな。その無意識の自覚が、野ブタへの恋心への戸惑いに繋がってるところもあると思う)。 (中川)


■プロデュースからキャッチボールへ

 この回で修二は「人気ものになりたくないのか?」と野ブタに問い、野ブタは「(人気ものになって)みんなにありがとうと言いたい」という、そして修二は「俺がお前を人気モノにしたい」と言う。いつしか人気モノになりたいという目標よりも三人の関係こそが大きなものになっている。これがもし最初から友情とか仲間みたいなものを前面に出したものだったら三人は手を組めなかっただろう、ある種プロデュースというドライな関係からはじまり、序々に信頼を築いていったのだ。 a0048991_19475265.jpg
 また「二人にボールを投げてもらうのを受け取るのが精一杯だからいつかボールを投げ返したい」と野ブタは彰に言うが、実は知らず知らずの内に野ブタは二人にボールを投げ返していることが最後に修二が球を投げるシーンでわかる。しかもその球は野ブタへの誹謗中傷が書かれたビラを丸めたものだ。
 その意味でこのキャッチボールのシーンがそのまま、この作品全体を象徴するシーンだと言える。  (成馬)


■キャッチボール

 「会話のキャッチボール」という会話があるように、キャッチボールというアイテムはコミュニケーションの暗喩として使われることが多い。
 最近で有名なのはやはり名作『木更津キャッツアイ』でのぶっさん(岡田准一)と美礼先生(薬師丸ひろ子)がキャッチボールをするシーンだろう。
 ストレス過剰で勤務先の高校で問題を起こし、謹慎処分を喰らって「引きこもり」になった美礼先生を、ぶっさんが元気付けるためにキャッチボールに誘う。そしてボールを追ってキャッチボールを続ける間に、いつの間にか二人は学校にまでやって来てしまう……。そう、ぶっさんはキャッチボールをすることで美礼先生にもう一度学校に戻って欲しかったのだ。
 これに対して「野ブタ。」第5話のキャッチボールは、同じようにコミュニケーションの暗喩として用いられながらも若干ニュアンスが違う。ここではもらったボール(心のこもったコミュニケーション)を投げ返すという行為は、相手の誠意に対等な立場から誠意をもって返すということを意味している。前話で修二からも大切な仲間と認識され、今回、それに応えるために独り隠れて努力するさまが描かれた信子は、今回ようやくボールを投げ返す資格を手にいれたのだ。その手つきはまだおぼつかない。だが、それは大きな第一歩、いや「第一球」のはずである。 (市民)


■だれか一人でもいれば

 世界中を仕事で飛び回る修二の母と、それを見送る父。父は語る。「世界中でたったひとりでも、俺のことをちゃんと知っていてくれる人がいるって思えれば、それでいいんだ」と。また、修二がプロデュースしたWデートでのやらせ演技のせいで、学校中に悪い噂が広まった上原まり子は「修二さえ本当のことを知っていてくれれば、それでいい」と意に介さない。父やまり子の語る「思想」は、学校という期間限定の箱庭での「キャラ」を演出することに長け、その「期間限定の小さな世界」でしか通用しないはかなさを達観して、平気で受け流そうとする修二の思想とは対極を成している。父やまり子の大切にしているものは「永遠」でこそないものの、時間をかけて培った中・長期的な入れ替え不可能性の高い(笑)関係だ。今のところ、物語は入れ替え可能な「キャラ設定」で満足していた修二が、「入れ替え不可能なホンモノの関係」のよさに気付くという形で進行していっている。これからはじまる後半戦、この修二の物語がどういう展開を見せるかは、もっとも注目すべきポイントのひとつだろう。 (市民) 

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■シッタカの失敗

 だが、この「君さえいれば」思想は実は非常に危うい部分を孕んでもいる。この思想はやもすれば少年の自意識の問題を解決するために、ご都合主義的に設定されたオタク好きする美少女にセカイごと彼等を承認してくれるなんていう、どうしようもないマッチョイズム(オトノノコの他者なきセカイ系ロマンス)に墜しかねないからだ。今回、シッタカというオタク少年を登場させ、その身勝手な他者なきロマンスに冷淡なスタンスを見せたこの作品が、それでも「ホンモノの関係」を志向する中でどういう着地点を見せるのかは非常に楽しみだ。それはたとえば修二の父母のような男女の関係として提示されるのだろうか。それとも、学園祭で3人並んで撮ったポラロイドの中に閉じ込められたような美しい関係として提示されるのだろうか。あるいは……? (市民)


■黒いソックスの女生徒

 第2話以来、野ブタのプロデュースを邪魔するネガティブプロデューサーの女生徒のショットがたびたび描かれていたが、今回は黒いソックスを履いた足元が映し出される。
 そしてラスト、野ブタが介抱して助けたおじいさんの孫だという女生徒が、「野ブタ」の初めての同性の友達として登場してくるのだが、彼女もまた黒いソックスを履いていた……。
 果たして今後、視聴者に対する正体探しには幕を引いた上で、この子をネガプロの正体としてキャラクター同士の対立劇に進むのか、あるいはこれをさらなるフェイクとしてより手の込んだミステリーに進んでいくのかも、目が離せない。 (中川)a0048991_19492750.jpg


■「人の幸せを素直に喜べない奴にだけは俺は絶対負けたくない」

 しかし人の幸せを素直に喜べない奴とはどんな内面を抱えた人間なのだろうか?野ブタにしてもバンドーにしてもまり子にしても、ある種の突出した存在で、だからこそ憧れられたり逆に虐げられたりする。だが学校は羨望も侮蔑も無縁のまま古い言葉で言うなら「透明な存在」のまま過ごす生徒がほとんどなのだ。そんな彼女?にとって野ブタはどう映るのだろうか?
前作「すいか」では最終回で唐突に同級生を刺そうとする男子生徒が登場したが、ここまで掘り下げただけに、そういう匿名性の中に埋没しているがゆえの悪意までこの作品は掘り下げようとしているのでないか?と期待させる。 (成馬)


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■悪意、そして「敵」の存在

 今の世の中、なかなか「敵」の見つけるのは難しい。いや、ある種の慎重さを思考から排除してしまえば、簡単に敵を見つけて噴き上がることができる。でも最低限度の繊細さを持ち合わせた人間にそれは難しい。そんな中で『野ブタ。』が前半戦5話をかけてじっくり提示しつつある「敵」らしきものが、修二のいう「人の幸せを素直に喜べない奴」=ネガティブプロデューサー(?)の存在をどう描くかがは、たぶん一番難しいところだと思う。この「敵」が「悪」として描かれるのか、それとももっと別の形を取るのか。そして修二たちは、どう立ち向かっていくのか……。これから後半戦を迎えるこの物語の最大のポイントのひとつだ。 (市民)
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# by nobuta2nd | 2005-11-16 19:51 | 第5話
2005年 11月 08日

第4話

【今週のあらすじ】

 年に1度行われる隅田川高校の恒例行事!
 公衆の前で『愛の告白』を行うという『1・1・4 (イイヨ)』の日、11月4日がやってきた。
 信子は、バンドーの嫌がらせから、修二に愛の告白をすることになってしまう。
 一方、修二は信子をプロデュースする立場からか、 a0048991_215154100.jpg
 信子の告白への応えに当惑するのだった――!
 はたして、信子は修二に愛の告白をすることが出来るのか――!?
 そして、修二はどう決断をくだすのか――!?
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【今週のストーリー解説】

■善良な市民

 それにしても学校というのは不思議な空間だ。「クラス」というせいせい何十人かの共同体の中での、相対的な力関係で「すべて」が決まってしまう。まるで物語の「登場人物紹介」に記されたキャラ設定のように、それは実際の人間関係を強力に規定してしまう。無論、これは学校に限らず、会社だろうが村の寄り合いだろうが、個人的なサークルだろうが、どんな人間関係にも当てはまることだ。しかし、学校という舞台装置が特殊なのは、この「キャラ設定」を通用させるための儀式が、きっちり制度化されていることだ。定期試験、体育祭、文化祭、生徒会役員の選挙……学校におけるすべての行事は無論「ごっこ遊び」だが、その本質はむしろ「キャラ設定」を根拠付けるための儀式として作用するところにある。
a0048991_21522160.jpg その典型例がこの第4話の「114(いいよ)の日」のイベントだろう。
 彼らも高校生だ、おそらく誰一人としてこの「114(いいよ)の日」の効果を本気で信じていない。けれど、彼等はこの儀式の存在を受け入れ、楽しみにしている。それは学校にいるという行為自体が、この「儀式によって根拠づけられるキャラ」を受け入れること=「キャラ売りゲーム」のプレイヤーであることを受け入れてしまうことに他ならないからだ。
 修二たちはこの強力なルールを逆手にとって信子を人気者にしようとし、バンドーはこの強力なルールを使って、周囲の自分に対する視線を裏切ってみたくなる。……これも小さな変化には違いない。

 この第4話は言ってみれば「展開編」だ。これまでの修二→信子の指導する→されるという関係、バンドー→信子のいじめる→いじめられるという(力)関係にほんの少しほころびが生まれ、次の展開を予感させる。
 更に言えば彰は信子への恋心に気付き、信子はバンドーに対する敵意を昇華させる。そして、修二ははじめて「仲間」を思いやる気持ちに目覚める。
 そして注目すべきは、この変化のどれもが、「学校」という小さな世界を支配する「キャラ売りゲーム」のルールから逃れる方向へと作用していることだ。信子を庇った修二とバンドー、敵対者に理解の目を向け始めた信子……そのどれもが、修二の会得していた「平坦な戦場を生き抜く知恵」の外側にあるものだ。 第4話にして予想外の射程の広がりを見せる「野ブタ。」。これはますます見逃せない。


■成馬01

 前3話に較べると話が弱いが登場人物たちの細かい描写や設定が多く(特に彰が空手が得意だというのには何故か笑った)今後の人間関係の伏線がバラかまれた回になったと思う。
 その意味で「野ブタパワー注入」のような単純に好きなシーンが多い。

 話自体は無理やり野ブタが修二に告白せねばならなくなり、全校生徒の目前で大恥をかかされてしまうのを、どう防ぐのか?というのがメインの筋なのだが。今までと大きく違う点がある、それは悩むのが野ブタでなく修二で、つまりクラスの人気モノの地位を守るか野ブタと彰の関係を選ぶか?という葛藤こそが問題だという点だ。 a0048991_21524942.jpg
 実は野ブタの物語は2話で終わっている。状況はあまり改善されていないし小説のように外見が綺麗になったわけではないが「自分は変わる」という硬い決意を野ブタは2話で獲得していて、以降は不器用ながら一歩づつ歩んでいる過程を見せているにすぎない、今回の野ブタパワー注入のシーンはその極めつけだ。逆に「野ブタと彰」or「クラスの人気モノ」という板ばさみで悩む修二に少しづつ視点が移っていて物語の作りは野ブタがどう切り抜けたか?ではなく修二が何を選ぼうとしたか?という手帳に書かれたあみだクジの結末と3人の写真こそが真のクライマックスとなっている。
 また前回見ていて印象的だった修二の底の浅さが更に強調され逆に彰と野ブタは殴られているバンドーをかばったりと外れもの故の強固さを見せている。
 多分今後は修二と野ブタの二人の比較で物語は進んでくと思うがどうなることやら。
それにしてもあんな誕生日祝いしてほしかったなぁ。


■中川大地

 もうダメッ。野ブタかわいいよ野ブタ!
 ……と、ちょうどこの回の放映日11/5が映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の公開日で、堀北真希が集団就職で上京した田舎娘を好演していたのを観たばかりだったから、地味だけど芯の強い、イマドキから距離のある子の役のうまさを実感したばかりだっただけに、「野ブタパワー、注入」には完璧やられました。。。
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 成馬さんご指摘のように、確かにもう信子のイジメ克服話自体は、すでにほぼアガリになってしまってるんですよね。いまや修二やバンドーを逆に変えてしまう、主体的で魅力あるヒロインにすっかりなってて。あと、彼女を見る周囲の目もだいぶ違っていて、「1・1・4の日」の告白者に挙がっても誰一人「野ブタのくせに」的な嫌悪をみせることなく、隠れ美人で服のセンスもいい学園のアイドルまり子への対抗馬として、純粋に野次馬根性や好奇心を寄せている。
 で、挙げ句の果てに信子自身がバンドーに対して、「私もクラスで浮いてるけど、あなたはもっと浮いてる」という状況を諭すという始末……。たしかに高校生にもなって同級生の誰かを殴る蹴るでイジめるような、しかも女の子なんて、まわりから相当距離を置かれるだろうし(というか第2話の時点であからさまなイジメには普通のクラスメイトは眉ひそめてましたね)、別に野ブタ自体が最初から嫌われていたわけではなく、バンドーみたいな粗暴なやつと関わり合いになりたくないから放っておかれてただけなんだろう、という図式が見えますね。そのへん、物語のメインプロットとは別に、さりげなくも入念に演出されていると思いました。
 また、メインプロット上も、2話では修二の会心のアイディア(ペンキ文字流行)主導で、3話では修二の苦し紛れの功労(バイト依頼)と偶然(生霊)と信子のアイディア(鏡のメッセージ)が等分にはたらいて転換と解決に繋がっていたのが、今回は完全に信子主導での問題解決だったし。

 反面、ヒーロー化しつつある彰の描写はいまいち乗り切れなかったところ。当初からウザイはずれ者的に説明されていながら、実際の描写としては周囲に流されない、かといって大した抑圧もないオイシイ立ち位置の不思議ちゃんでしかなく、そのうえ財力もあって腕っぷしも強いというのは、なーんか許せんなあ(笑)。もう野ブタへの恋でいっぱい悩め、苦しめ。
 一方では、どんどん追いつめられてゆく修二に感情移入。がんばれ、彰の「天然だけど人の気持ちがわかる」キャラに喰われるのはまだ早い! もっとノリつつシラけ、シラけつつノりながら、ひねた自意識とスキルにだってここまでならできる、という限界線をきっちり見せてくれるよう、期待。



【今週のチェックポイント】


■「1・1・4の日」イベントと恋愛の相対化

 これまでも「アフリカの子供」や「生霊」といった外的要素を契機に学校内のローカルなルールや価値観を根底から見直して土俵をずらしていく、というのが本作の事件進行のカタルシスだったわけだが、今回は「告白」と「交際」の儀式に縛られた恋愛ボケの制度を、野ブタの勇気がバンドーとの関係転換の場に転じる展開。結果、恋愛という物語を信じられない修二のキャラと、なまじ人並みに恋愛関係の体裁に縛れられるあまり彼氏から暴力をふるわれるバンドーと、まだ恋愛を介在させる準備のできていないプロデュース組3人のモラトリアム関係を救ってみせる。 a0048991_21534270.jpg
 あくまで周囲の押しつけるルールに乗って花を降らそうとした修二の内心の選択も、確かに「本当に大切なものに気づいた」彼の成長の証としてはアリだったけれど、恋愛という関係性への準備ができていない修二・信子の間で実行することはやはり不幸な結果にしかならなかったはず。だから修二の側も、このイベントの選択をいかに異化してズラして転ずるかを考えるべきではあっただろう。  (中川)


■セバスチャンの失恋 (1)

 序盤の方で、木村祐一のセバスチャン先生の見合い相手が学校にやってきて、何やら言い合いの末ふられてしまう顛末が描かれる。当然セバスチャンの方がしつこく言い寄って一方的にふられたのかと思いきや、母か彼女かの二者択一を迫られ、ハグレ者だった自分を唯一認めてくれていた母の方が大事だと愚直にも答えてしまったゆえのことだったと修二に語る。
 周りの生徒はそんなセバスチャン先生の選択を、女の前ではウソでも彼女の方を選んでおくものだと馬鹿にするが、理不尽な選択の強制を、自分の心を偽らずにする、という伏線が張られると同時に、必ずしも恋愛ばかりが優先すべき事項ではない、というモデルの呈示にもなっているあたりも、ありきたりを超えた注目点のひとつ。  (中川)


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■セバスチャンの失恋 (2)
 お見合い相手にマザコンを責められ、振られてしまったセバスチャン。「自分の親が好きで何が悪いんだ」と漏らすセバスチャンを、修二はじっと見つめる。これは無論、最終的に信子のために自分を犠牲にすることを選ぶ修二の決断への伏線である。修二は学校を支配する「キャラ売りゲーム」の価値観の外側に、大切なものがあるのではないかと感じ始めているのだ。(市民)


■彰の恋

 今までは野ブタや修二に較べて飄々として掴みづらかった彰の見せ場が今回は多かった
 バンドーを殴る彼氏を殴り、修二に水をかけるなと瓦割りセットを一式もって修二の家に行き瓦割りをして脅す。そしてホントおじさんにつめよられて、はじめて自分の気持ちを発見する彰。自分の気持ちに気付かず行動していたのがが男の子っぽくはじめて俺は彰を身近に感じた。特に恋愛に関してこのように鈍感な男の子は多いのではないだろうか?
 彰は恵まれた境遇ゆえに修二や野ブタのようなある意味で過剰な内面は持ち合わせておらず人間関係に無頓着でその悩みの欠落からそこにこだわり悩む二人に自分にないものを感じ近づいたような気すらする。
今回、彼は自分の欲しいもの大切なもに気付いてしまった。
 それは楽しいことだけでなく辛いことの始まりでもあるわけだけど彼はどう変わるのか? (成馬)


■「気付き」の物語

 俺が思うに「野ブタ。」は「いかに気付くか?」の物語なのではないか?と思う。
 それはゲーム的な桐谷修二の切り抜け方(今回はまったく出番なしだけど) の部分だけではなく、2話の感想で中川大地さんが指摘した外部の問題もそうだ。自分を取り巻いている世界が全てでないこと、自分の中にある気持ちに気づくこと、自分にとって大事なものに気づくこと 野ブタは自分の中の野ブタパワーに気づき彰は野ブタへの恋心に気づき、修二は大事にしたい仲間の存在に気づいた。 a0048991_21543993.jpg
 物語にはつねに小さな発見があり、その発見の数だけこの世界は豊かになっていく。 だが気付くという面には良いことだけではなく辛いこと悲しいこともあるのではないか?
 例えば彰は野ブタへの自分の気持ちに気付いたけど他の二人はどうなのだろうか?
 ラストの彰の気持ちの気付きが幸福なトライアングルの破綻を予感させ不安にさせる。でもその不安も含めて世界を肯定したいと思うような終わり方をしてくれるだろうと俺は期待している。 (成馬)


■彰のホワイトバンド

 第4話にはホワイトバンドを装着し「愛と、勇気だけが友達さ」とアニメ「アンパンマン」のテーマを熱唱する彰が登場する。「ホワイトバンド」と「アンパンマン」。無論この二つは「偽善」または「しらじらしい善意」の記号だ。しかし第1話から明らかなように、「野ブタ。」の世界観はベタにこのような「偽善」的パフォーマンスを肯定するわけでもなければ、冷笑的に糾弾するわけでもない。a0048991_21573485.jpg
 むしろ金持ちの息子として生まれ、「何をやっても楽しいと思ったことがない」と語る彰にこれらのアイテム(「愛」「勇気」「世界平和」)を装着させることにより、この種のアイテムを(肯定するにせよ否定するにせよ)パフォーマティブに消費するしかない僕等消費者の現実を確認しているのだろう。勿論、そんな彰がただひとつ得ている(偽善ならぬ)確かなものが何か、ということはこのドラマのテーマに直結していく。 (市民)


■本当のことを教えてくれ!

 第4話で登場する「本当おじさん」。突然現れて「本当のことを教えてくれ」といいながら人を追い回す怪人だが、この怪人の出現により第4話のオチが綺麗に決まることになる。
a0048991_2155976.jpg「本当のことを教えてくれ」と連呼しながら校長を追い回していた怪人は修二たちに激突。結果、3人のお揃いの「野ブタ手帳」が入れ替わってしまう。その結果、信子は修二の本心を知り、修二は自分が信子と彰を大切に思い始めたことを再確認する。まさに「本当のことを教えに」怪人はやって来たのだ。 (市民)


■修二の変化 a0048991_215742.jpg

 第4話ではイマイチ影の薄かった修二だが、ラストでなんと自分の「クラスでの美味しい位置」を投げ捨ててでも信子をかばうつもりだったことが判明する。つまり、この「キャラ売りゲーム」を最も熟知し、その恩恵を受けてきた(がために視野狭窄になりかけていた)修二が、「キャラ売りゲーム」の外側にも価値があること、教室の外側にも世界があることに気付き始めたのだ。もっともゲームに耽溺していた修二が、今、ゲームのルールに拠らない場所で、変わろうとしている。 (市民)


■戦メリ戦法
  
「戦メリ戦法」とは敵対する相手にいきなりキスして戦意を喪失させるテクニックのことで、漫画家・吉田秋生の『河よりも長くゆるやかに』に登場する。a0048991_2156992.jpgなんで「戦メリ」なのかというと、大島渚監督の映画「戦場のメリー・クリスマス」で主人公の米兵捕虜・ロレンスが、彼を虐待しようとする敵の日本軍士官・ヨノイに突然キスして周囲を驚かせるシーンに拠っているからである。ここでロレンスは、自分に敵意をもつヨノイに、無防備に自分をさらし、自分には敵意がないことを示すことで、ヨノイの敵意を解除することを試みたわけだ。 a0048991_21562595.jpg
 この第4話で信子がバンドーに対して取った戦術は、まさしくこの「戦メリ戦法」と言える。
 「信子以上にクラスから浮いている」バンドーにとって、戦メリ戦法を取りいきなり「自分に敵意を向けない無防備な存在」として出現した信子は、その生き方を揺らがせるに充分すぎるほど衝撃的な存在に思えたに違いないのだ。 (市民)

■変わるの意味

 野ブタは「人って変われますよね」と言うが、この変わるの意味は小説版とドラマ版ではかなり違う。
 小説版の変わるは言うなれば本当の自分なんて入れ替え可能だよっていう意味で服装を変え清潔にすれば気分も周りの見る眼も変わるっていう表層的なものが全てを決定するって価値観で、それは人間関係も含めて全てが可視化されていく現実をうまく捉えているという評価はできないことはないが、対してドラマ版はそれでも見えないもの気付いてないものがあるんだよと追求する。
 だからこのドラマにおいて「変わる」というのは自分の中にある強さを発見する、見つけるという意味合いが強い。   (成馬)
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# by nobuta2nd | 2005-11-08 21:59 | 第4話