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週刊 野ブタ。

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2005年 10月 24日

第2話



【今週のあらすじ】

 2年B組では、信子へのイジメが加速していた――。
 そんな矢先、信子の制服が何者かによって、落書きされ、着られない程、ボロボロにされてしまう。
 過去にも同じような経験を持つ信子は、諦めに似た落胆を覚えるのだが、信子のプロデュースを引き受けた修二が立ち上がり、この状況を打破すべく打開策を思いつく。
 その作戦とは、とにかくまず美しくなること。 第2話_a0048991_21303372.jpg
 単純な作戦のようだが、まずは基本が大事。
 そこで、信子のビューティーアップ作戦を始めるが・・・。
 公式サイト


【今週のストーリー解説】


■善良な市民

 第2話は「野ブタ。」のテーマである「小さな物語」の乱立状態とその「書き換え」をわかりやすく反復している。

 物語は何者かに信子の制服にペンキで「ブス」と書かれてしまったところからはじまり、修二と彰は私服登校を余儀なくされたこの状況を逆手にとって、彼女の外見を大改造する。
 作戦は一定の効果を上げるのだが、「自分たちも私服登校したい」と他の女子が騒ぎ始めたことで問題が別方向に走り出し、結局信子は再び「ブス」とペンキで書かれた制服で登校することになる。
 そこで修二は起死回生の一手を考える。
 自分達の制服にも「バカ」「キザ」おペンキで書きなぐり、敢えてその格好で登校することで「制服にペンキで殴り書きする」というブームを教室で起こすのだ。
 作戦は成功し、学校中で制服ペインティングが流行り、信子も少しだけクラスに溶け込みはじめる……。
第2話_a0048991_21341885.jpg
 
 まず物語の大前提として、クラスのような小さな物語(=共同体)の中の価値観、「入れ替え可能」塗り替えられるというのがある。
 しかし、そうやって作ったブームは、修二自身が語るように決定的なものにはなりえない。クラスなんてチンケな世界の物語を更新するのにも、積み重ねが肝要なのだ。

 そして、物語は信子を意図的に落としいれようとする悪意の存在をほのめかして次回へ続く。
 
 
■成馬01

 一話の面白さが続くか不安だったけど、いらん杞憂だったらしい。見ている間、震えた。
 一話一テーマで物語を作り上げる手腕は見事で、前作「すいか」も、そういう方法論だったなぁと思い出す。
 木皿泉は小さな世界のちまちました会話劇を得意としたが、その会話は一見くだらないことのようでありながら濃密であらゆることが詰まっている。今回は学校という舞台でそれを展開する。
 今回のテーマは外見。
 人気モノになるためにまず外見を清潔にするというのは原作と共通だがテレビ版は、何故変わるのか?変わりたいのか?外見を変えることが内面も変わるのか?ということを丁寧に描写する。 第2話_a0048991_2133098.jpg

 制服にペンキでブスと落書きされたことを逆手に使い、私服でお洒落して野ブタを登校させようと考え、どんな服装と髪型がいいか?を修二と彰の三人で考えるシーンは見ていて楽しく魅力的だ。
 彰の経済力と修二の対人能力と彼女から仕入れた情報を元に、夜の街に出て買い物をする姿はある意味で野ブタと同年代の女の子にとっては憧れるシュチュエーションなのかもしれない。
 このドラマがすばらしいのは難しいテーマを扱っていながらちゃんとライトなアイドルドラマに収まっている所だ。修二と彰の冴えた王子さまっぷりに俺の中の乙女心が少しキュンとなる(笑)
 修二は本当の自分を出す勇気がないがゆえ全体を見回すことができる。状況は何も改善されていない、ただ視点がづれただけでやがては元に戻ってしまう。
 ラスト、髪型を変え下手くそな笑顔を野ブタは練習する、その小さな変化が次へと期待させる。


■中川大地

 率直な感想として、やはりいじめられ役としての堀北真希のルックスや人形という道具立てだとか、忌野や夏木マリの存在が半端にわざとらしい感じなので、このドラマの世界観全体のファンタジー度・寓話度を適切に解読できるリアリティ・フィルターを脳内に築けるかどうかが敷居になりそうな作品だなとは思いました。『女王の教室』ほどディフォルメが徹底しづらい、微妙な題材なので、いまどきの学校化社会の「平坦な戦場」問題をえぐり、斬ってみせるカタルシスが前番組ほど話題を呼んで多くに伝わるかどうかは疑問。

 ただ、その技術的前提を越えれば、成馬さん、市民さんの感想にほぼ同意です。二人の感想にも言外に入っていることだとは思うけれど、僕が特に興味を引かれたポイントとしては、狭い小社会内に閉塞した問題を描いているようでいて、解決カタルシスへの転機になるのが、アフリカの子が着てる体操着を発見するという点ですよね。
 僕の見ていない第1話での飛行機事故の件も、おそらくそういう意味合いを持っていたのではないかと思うのだけど、いかな閉塞的な日常といえど、必ず地続きの「外部」があることを唐突に認識させられることによって、いま・ここを相対化し、前向きで具体的な価値観の組み替えを駆動していくというあたりが、このドラマの演出の白眉だなと思いました。堀北の野ブタちゃんが雑誌を取り落とす転回の瞬間のシーンは素晴らしかった。

 これは『リバーズ・エッジ』での死体の位置づけの進化系ってことなんだろうけれど、そこではあくまで「外部」をも「平坦な日常」のしんどさを慰撫するための閉ざされたツールに動員されてしまったのに対して、本来あるべき外への想像力のあり方・日常への持ち帰り方が、ようやく戻ってきたかなという感じがします。
 このへん、『木更津~』よりもさらに解像度が高まって進歩しているかもしれませんね。
 今後に期待。
 
 
【今週のチェックポイント】


■マフィアン・ルックの父親

 第2話では、修二の父親がまるで「ゴッドファーザー」に出てくるコルシカ・マフィアのような姿に身を固めて会社に行き、周囲の不評で凹む姿が描かれる。
 うなだれながら「若いうちに、好きな服着ておいたほうがいいぞ」という父親に、修二は「その格好で三社面談来ていいから」とやさしい声をかける。第2話_a0048991_213154100.jpg
 学校社会で仮面を被る「ゲーム」を楽しんでいる修二も、本当は「ありのまま」振舞う気持ちよさを理解しているのだ。 (市民)


■他人にどう見られたいか?
 
「他人にどう見られたい、とか、考えたことなかったのか?」
「……そんなこと、考えたこともなかった」
「学校の連中はな、みんなそういうことばっかしか考えてないんだ、人に好かれたいとかバカにされたくないとか注目されたいとかみんなそういうことに神経すり減らしてるんだ、お前もちょっとでいいからそういうこと考えろ」

 もちろん、この程度のことは「言わずもがな」の「当たり前」のことである。
 これを敢えて取り出して見せたところには、「人間関係のことで頭がいっぱいの人生の貧しさ」といった方向に話が進みがちなのだが、今のところドラマ版「野ブタ。」はそういう方向には行っていない。
 原作では予定調和的に、修二はラストで「人間関係のことで頭がいっぱいの人生の貧しさ」に報復されるのだが、ドラマではどう料理されるかが楽しみだ。 (市民)


■アフリカの子供たち

「捨てられたはずの体操服が回りまわってアフリカの子供が着てる、しかもそれ着て笑ってた、きっとどんな服を着てても笑えるんだよ、笑って生きてけるんだよ」
 
 汚れた制服を着ていくことを決意した信子の台詞。
 このとき信子はアフリカ難民の子供が、かつて自分が捨てた体操着(援助で支給されたと思われる)を着て笑っているのを観て勇気付けられているのだが、その姿を観た修二は「どんな服を着てても笑えるんだよ」という信子の言葉から、この状況を逆手に取ることを思いつく。
 つまり「どんな服を着てても笑えるんだよ」(自分が捨てた服を着て笑っている子供がいるくらいだから、自分も頑張れるはず)→が「どんな服を着てても笑えるんだよ」(どんな服でも流行らせることができるんだよ)」と前向きに発想を転換しているのである。
第2話_a0048991_21312982.jpg
 こういうポジティブな発想の転換は「野ブタ。」全体を貫くモチーフでもある。「人生はすべてゲーム」「教室でキャラクターを演じている」という認識はすぐに「じゃあ本当の私って何?」みたいな90年代に大流行した安っぽい自分探しストーリーに回収されるケースが大半だが、「野ブタ。」はこういったローカルな共同体の安っぽさ、虚構性を逆手にとって楽しむという発想で物語がスタートしている。 (市民)


■ネガティブプロデューサー

 ラストでは野ブタの制服にブスと落書きした女生徒らしき影が暗示される。
ここからは予想だが、一話で野ブタを追い回した女性徒たちがイジメの首謀者でなく、彼女たちも無自覚に踊らされていたのなら。だとしたら一方で野ブタをイジメの渦に巻き込み生徒たちの悪意の方向性を操ろうというネガティブプロデューサーがいることになる。第2話_a0048991_2131666.jpg

 もちろんそれはまだ予測だが、そうなった時、修二がプロデュースするという意味合いは小説とはまったく違った意味合いの価値観を巡る情報戦となる。
 野ブタのマイフェアレディとしての物語も注目だが、その方向性もまた期待したい。 (成馬)
 

by nobuta2nd | 2005-10-24 21:33 | 第2話


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